二丁目山車 復原修理の記録

新しいネタがなくなったので、昨年から行っている
二丁目山車復原修理事業の記録をちまちま書いていこうと思います。

砂川村五番組で幕末から明治初年頃に建造された当町自慢の山車は、
建造以来140年、大正9年に二丁目に来てからでも90年あまりが経過しています。
曳いてれば横揺れがして提灯が落っこちてきたり、彫刻は折れていたりで
かなり痛みがきていました。何とか直したいとみんな思ってはいましたが、
残念ながら二丁目町内会には昔日の勢いはありません。

しかし昨年、町内会が文化庁の指定を受けて市街地伝統文化総合活性化事業を行うことになり、
その一環として山車復原修理もできることとなりました。

その話が決まったのが、たしか去年の10月。11月の飯能まつりは二丁目の人達にとっては
山車修理決定記念の大祭でありました。

復原修理をするために、山車を解体することになりました。
本来山車はお祭りのたんびに組み立てるものです。二丁目でも大正時代以降、
台車部分は九十九里さんに、舞台より上の部品は青木箪笥屋さんの蔵に分解してしまっていましたが、
昭和30年代の山車小屋建設以降は組んだまま保管するようになりました。
ということで、今回およそ50年ぶりの解体作業となります、

~↓昨年度(平成22年)のことです↓~

作業予定の11月23日(祝)あいにくの雨。朝のうちで雨は上がるという予報で決行となりました。

雨が上がるまで、山車小屋で待機。町内役員や親和会員が集まり、お諏訪様の松本神主さんによる安全祈願です。
作業現場で行う予定でしたが、山車小屋でやってしまいました。

雨が上がったので、出発です。お囃子もやればよかったですね。

作業現場に到着です。前日に鳶さんが組んでくれた足場の中にぴったり納まりました。
まるで測ってつくったようです。

  続きはまた今度。 しばらくこのネタでひっぱります。

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