親和会について

流派

神田大橋流(下畑~二丁目)

演目

屋台・仁馬・四丁目・昇殿・鎌倉・子守唄・マリつき・神田丸・国固・宮昇殿・トッパ・麒麟・亀井戸・羯鼓
(以上屋台囃子)

シャンギリ・チャンチャリンコ・ノウゲノヤマ・昇殿崩し・菊華・飯能小唄(以上祇園囃子)

踊り

屋台[獅子・外道・天狐]、仁馬・四丁目[ヒョットコ・馬鹿面・岡目]、昇殿・鎌倉[ヒョットコ・馬鹿面・岡目・獅子]、神田丸・宮昇殿[恵比寿]

沿革

記録によると、大正御大典(大正三)の時には、まだまとまった囃子連は無く、下畑の囃子連を山車とともに招き、祭りに参加したという。
大正九年、山車取得の際も、三丁目共鳴会・原町囃子連の協力を仰いでいる。

その後町内にも囃子連をという気運が高まり、青木梅助師を中心とする下畑囃子連を師匠に二丁目で囃子連が始まった。
昭和御大典(昭和三)では入間市新久囃子連の協力を仰ぎながらも囃子を演技している。

小間横丁初野理髪店脇にあった十王様の縁日(毎月十六日)、三丁目三座稲荷神社等に囃子を奉納していたが、紀元二千六百年祝典(昭和十五)以降、戦時体制が厳しくなり、終戦(昭和二〇)まで中断を余儀なくする。

戦後、天王様(七月)、お諏訪様(九月)の祭礼を中心に活動を行いながら、大橋流伝承にも努め、戦前(昭和五年頃)伝えている越生町・本町囃子連(親和会)に再伝授したり、川越市・西小仙波囃子連(竹生会)にも新たに伝えている。

また、昭和四十五年「全関東祭り囃子コンクール」をかわきりに「高松宮杯全関東選抜祭りはやし大会」「関東郷土芸能はやしコンクール」「郷土芸能親子大会」「かみさと太鼓フェスティバル」など各種コンクール、大会に積極的に参加している。

平成十二年五月には「さいたま新都心街びらき」に飯能市代表として出演し、好評を博している。

昭和四十五年依頼、三〇有余年の長き間にわたり、特別養護老人ホーム太行路(名栗村)等へ実施しているお囃子慰問を認められて、平成十二年七月、飯能市社会福祉大会において、社会福祉協議会会長・小山飯能市長から顕彰されている。

ー 平成十二年度 飯能市有形民族文化財指定記録誌 飯能二丁目の山車 より ー

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