二丁目の山車は砂川村五番組(現・東京都立川市)で建造されました。
一番組から十番組まで十の組に分かれていた砂川村で、幕末から明治初年にかけて各組が競って
山車を造り、往時は十本の山車が揃っていたことは有名な話です。
さらに、山車建造と同時期にこれまた豪華な祭礼幟を造っていて、今でも残されています。
五番組の幟は近年、昭和記念公園のイベントで飾られることがあり、タイミングがあえば見ることができます。
(下の写真は平成19年に飾られた時のものです)
かなり大きな幟ですが、驚くべきはその大きさだけではなく、土台部分の彫刻です。
いろいろお祭りを見てますが、こんだけ豪華な幟の土台はなかなかありません。
幟は万延元年(1860)の製作。山車の建造年は明らかではありませんが、同時期かと思われます。
裏話ですが、大正9年に二丁目で山車を買うとき、当初の予定ではこの幟も買う予定だったのが
紆余曲折があり山車のみ購入したそうです。
二丁目の物になっていたかもしれない幟が、今こうして昭和記念公園に飾られてるっていのは
ちょっと残念でもあり、不思議な気もします。