昨日は彫刻修理について載せましたが、今日は欄干です。
台輪に残る痕跡から、現状の四方にめぐっている欄干は建造当初の物ではなく、後補らしいということがわかったそうです。
八王子型人形山車は一本柱を上げる関係で、後部に欄干がある例はほとんどないそうです。
(飯能三丁目も後部欄干の中央部が切れていたような気がします)
二丁目の山車も、当初は後部に欄干がなかったとすれば一本柱立ち上げも容易となり、構造的に説明がつきます。
また、欄干がなければ脇障子後部下の『葡萄に栗鼠』の彫刻が良く見えます。
↑山車後部(現状)