続きまして、こちらも以前書きました欄干(高欄)の新事実について
現状の欄干は、建造当初の物ではないらしいということがわかりました。
上写真で穴が点々と開いているのは側面台輪の上部です。
この写真ではわかりにくいですが、大きさと間隔の違う2種類の穴があります。
一方は現在欄干がささっている穴ですが、もう一方は使われていません。
おそらく建造当初の欄干をさしていた穴だと考えられます。しかもその穴は後部台輪にはなく
そのことから、建造当初の欄干は前と左右の三方のみに設置されていたらしいことが分かりました。
現状の欄干がいつの物なのかははっきりしません。大正9年の購入時に二丁目で新調したのか、
それともそれより以前に砂川で改造(改修)が行われたのか・・・。
あと、ほとんどの部材はケヤキですが、台輪のみ栗、床下の根太?は杉を使っていたそうです。
今回、痛みのはげしかった杉材の部分は檜に取り替えました。
ピンバック: 飯能2丁目親和会(お囃子) » Blog Archive » 山車 復原修理の記録 欄干と台輪