飯能まつりについて

見どころ情報や、行事日程をこれから載せていこうと思います。
まずは、お祭りの始まりの話から。

~町の成り立ち~
飯能の市街地は、今の大通り(中央公民館から広小路までの通り)を中心に発展しました。
大通りから北側が飯能村、南側が久下分村、広小路から北東方面が真能寺村(今の原町)で
この3つをひっくるめて飯能町と呼ばれていました。

江戸時代初期から縄や筵を扱う「縄市」が立ち、「飯能町」の表記の初出は天和元年(1681)の史料であることから、
この頃には町場になっていたと考えられています。その後絹織物なども扱われるようになり、町はどんどん栄えていきます。

大通りは村の境を越えて、西側から上町(今の三丁目)、中町(今の二丁目)下町(今の一丁目)の
三町に分かれていました。二丁目に残る江戸時代の祭礼幟にも「中町 氏子中」と書かれています。

明治時代になると、今の町内会のもととなる組織ができまして、飯能村と久下分村の範囲では上・中・下町は通三・二・一丁目となり、
河原町、宮本町もできました。この五ヶ町の鎮守が諏訪八幡神社(お諏訪様)です。飯能市民会館の隣にあるお諏訪様は
永正13年(1516)に勧請され、天正12年(1584)に再興されたそうなので、500年近い歴史がある古い神社です。

~お祭りの始まり~
かつて飯能市街地では、9月末に諏訪八幡神社と八幡神社(原町・前田の鎮守)のお祭りが行われていました。

お諏訪様では安永年間(1770年代頃)に始まったとされる獅子舞の奉納があり、山車の方は原町が明治15年に建造、
その後明治から大正にかけ河原町、三丁目、一丁目、二丁目、宮本町が、そして戦後に前田が建造して盛んにお祭りをおこないました。

しかし、お諏訪様の祭礼日であった9月26・27日は洞爺丸台風・狩野川台風・伊勢湾台風など大きな被害をもたらした台風が上陸した
台風の特異日でした。せっかく準備したけど、天気が悪くて残念な思いをした年も多かったそうです。

昭和40年代の後半に、「飯能まつり」として全市をあげての祭が行われるようになり、祭日も晴れの特異日である11月2・3日に変わりました。
そして、10年くらい前に11月第1土日へと変更されて今に至ります。

お祭りが11月3日だった頃、2日の町内回りは平日なので囃子連の子たちは学校を早退できました。一丁目や宮本町は朝からなので、出欠をとったら下校。
二丁目は午後からなので3時間で下校。あれは楽しかったですね

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